今年もわが社に新入社員が入った (1)
確かに我々の様な中小企業にとって人材採用は、最も重要な資産形成のひとつであるが、今この時期に如何なものかと自問自答していた。
その迷いを払拭してくれたのが、昨年入社の新人達だった。
九州六大学野球で活躍したフットワーク抜群のN君、冷静で常に客観的に物事を判断できるYさん、情熱的で責任感の強いMさん。
この3名の1年間の成長を振り返ったとき、それは消えた。
この3人の成長は目を見張るものがあった。もちろん1年目の新人に完璧を求めることは出来ないが、及第点をはるかに超えた2〜3年くらいの中堅と伍す位の出来栄えである。周りの教育や応援がそうさせたこともあろうが、何より我が社の採用基準や「人を見る目」が正しかった事が嬉しかった。
今年の新人はたった一人だ。そして女性だ。
採用活動の中で100数十名の中からわが社の 「人を見る目」で選んだ逸材だ。 東日本の震災で、採用が取り消しになり、また採用した会社そのものが無くなったり、 多くの学生の輝かしい出発までも一気にのみこんでしまった。 この年に入社したことを彼女もそして向かい入れた我々も、決して忘れないだろう。
2011年4月1日 たった一人の入社式を市内ホテルに於いて質実にも明るく執り行ない、そして彼女のいかにも新人らしい高らかな宣言で終了した。1年後、彼女の成長が、また次の新入社員にリレーされる事を真に願いたい。
視点とは
このコラムのタイトル、「視点」。
よくたとえ話に出てくる「コップ半分の水」をどう見るのか。
コップ半分の水は「事実認識」だが、「もう半分しかない」と見るか「まだ半分ある」と見る
のか・・・。
これは視点の問題。
ある商社マンが靴の市場開拓にアフリカの奥地へ飛んだ。
みると現地人は皆、裸足。
会社の報告書に「ダメです、ここの人には靴は売れません」と報告するか、「靴の市場は100%あります。ついでに靴下も一緒に売りましょう」と
報告するか、これも視点の違い。
歩いていると、ある工場現場を通りかかる。「何をやっているんですか?」
「見りゃ分るだろ、くそ重たい煉瓦を運んでいるのさ」と答える人。
「はい、私たちは、学校を作っているんです」と答える人・・・。
随分前の話だが、青森が壊滅的な台風の被害にあった。
ちょうど収穫期だったのだが大半のリンゴが落ちて使い物にならなくなってしまった。
落ちたリンゴを見て悲嘆にくれる人たちの中で、まだ木に残っているリンゴに
目を付けた人がいた。
彼はそのリンゴを「落ちないリンゴ」として販売する。
受験生に大好評で1個1000円でもバカ売れしたという話。
リンゴといえば「アダムとイヴのリンゴ」「ニュートンのリンゴ」「ウイリアムテルのリンゴ」などあるが、それぞれリンゴの意味が全然違う。
トーマス・エジソン、彼が蓄電池の開発に取組んだ時のこと。
彼はこの研究において、最適の電極材と電解液の組み合わせを求めて9千回以上の実験を行ったにもかかわらず、結局、十分な成果はなかった。
だが、その時エジソンは周りの人間にこういったという。
「この研究では、大きな成果を挙げることができた。なぜならば、この実験を通じて役に立たない材料を数千種類も知ることができたのだから」と。
こう考えると「視点」とは「モノの見方」であり「考える姿勢」のことであり、「生き方」のことでもあるような気がする。
だから「視点を磨く」とは、自分を磨く以外になさそうな気がするのだが。
萬謝!
10周年・・・つづき
10年経ったらやりたいと思っていたことに、「新卒の採用」がある。 以前会社組織を活性化するには三つの方法があると学んだ。
「人事異動」・「社員教育」そして「採用」である。わが社も十周年を迎えて、組織も少し硬直してきたように思う。また、平均年齢も上がって、当たり前のことだが皆10年分年をとった。
今後の10年、更なる高みを目指すには、原動力となる若い力が必要だ。
基本的に今年から中途採用はしないこと、毎年新卒採用をやることを社員に発表した。ついては整備、検証しなければならないことが山ほどあった。
新卒採用に向けてプロジェクトをつくり、分野ごとにそれは彼らに任せた。でも、そうはいっても本当にいいのかという疑問もあった。
新卒者というのは卵から孵ったばかり。殻を割って出てきた人たちの最初の会社がウチでいいのか?その人生に責任がもてるのかという自問。
正直、自信は揺らいだ。
そのときに、採用コンサルタントの会社の方が「そういう気持ちをもっている経営者、会社こそ新卒採用はやるべきでは・・・」といってもらったことで、ある種の覚悟ができたといっていい。
現在のリクルーティングは私の想像を超えた未知の仕組みだった。求職者の大学生に対しては、全てWEB上でのアプローチとなる。ホームページも全面作り変え、リクルーター用のサイトやブログも追加した。大学生が読んでも面白い入社案内も作成した。
就活ナビにも掲載し、エキスポにも二度参加した。三回の会社説明会、五段階の面接も実施した。正直、金も時間も費やしてのぶっつけ本番だった。失敗してもいい、今後に活かせれば、と無理やり自分に言い聞かせた。
しかし、結論から言えば、成功したと思う。
成功したというにはいくつかの理由があるが、まず応募してくれた学生達との出会いに尽きる。
派遣業に対する逆風が吹き始めている時期にあえて選んでくれた人たちに出会えたことが嬉しかった。
いろんな人にたくさん会った。採用活動についてはほぼ未経験といっていい。プロジェクトチームの面々は研修をうけることでリクルーターとして驚くほど成長した。
更に不思議なことにそのリクルーター8名が各々に仕事に熱が入ってきた。仕事にノってきた。不況の中、社の業績も群を抜いて上がっていった。
一次・二次・三次と選考し、さらにまたその中から人選していかなけばならないということを経験することで、大なり小なりその人達の人生に影響を与えるという責任が、すでにもたらされているという事を思い知ったのだろう。
プロジェクトのひとりの女子社員が朝礼で言ったことも印象的だった。
「採用活動の中で、私たちはこの会社の魅力をたくさん話しました。その話を聞いて彼らは応募してくれ、そのなかで選ばれた方達が来年の4月、本当にこの会社に、私達の会社に入って来ます。その時、あの話はウソだったのか?と感じさせないように、私達の真剣な仕事ぶりを見せなければなりません。そのためにもう一度、皆で日々検証しましょう。」と。
この採用活動はやって良かったとしみじみ感じた瞬間でもあった。
「啐啄同時(そったくどうじ)」という言葉がある。卵のなかからヒナが殻を破って生まれ出ようとする瞬間、内側からヒナが殻をつつくのを「啐」、外から親鳥がつつくのを「啄」という。この自然な不思議さを表現した言葉が「啐啄同時」だとか。この時ヒナとは、実は新卒者ではなく、10年目の会社に今いる社員たちではないかとも思った。
殻を破りたいと内からつつき、外からつつく「啄」は「社長である私が決めた新卒を採用しよう」ということになるのか? とにかくいろんな気づきや、チャンスを与えてくれた彼ら、選考から残念ながら選ばれなかった学生達も含めて、機会があれば、本当に許されるならもう一度みんなに会いたいと切に願う。
萬謝!
10周年・・・
こんな話があります。
ある朝早く、1人の男が打ち寄せる波を見ながら海岸を歩いていると、
数えくれないくらいのヒトデが砂浜に打ち上げられて日干しになって
死にかけていることに気がついた。
その異様な光景にしばし呆然としていると、ふと遠くの方で若い女が1つ、ひとつ
そのヒトデを拾い上げては海に向かって、投げ返している姿が目に入る。
男はその女のところまで近づいていき、こう声をかけた。
「そんなことしたって時間の無駄じゃないか、こんなにたくさんのヒトデがあるのに、そんなことしていったい何の意味があるんだい?」
するとその女は足下にあったヒトデを1つ拾い上げると思いっきり海に投げ返し、
「あのヒトデにとっては意味があったわ」
と言ってさらに足下にある別のヒトデに手を伸ばした。
どうして、この話かというと、今年で当社は10周年を迎えた。
10年は私の中でも最も意識した節目でもあった。
何かしたかった。
今までお世話になった人たち、今まで弊社に関わった人たちに集まって
もらって感謝祭の形でのパーティ等・・あれやこれや考えているとき、
たまたまベトナムに視察旅行に行った際に偶然、行きにも帰りにも
同じになったお取引先の社長から「国際人権ネットワーク」の話を聞き、
日を改めカンボジアにあるモンドルバイ村の子供達に会いに行くことになった。
その村の生活ははっきり言ってとても貧しい、そのうえ不幸にも地雷によって足のない子や、
手のない人達が沢山いた。でも、「貧しい」「不幸」という概念は、一方的に私の価値基準でしかないことも気づいた。
彼らは自分たちのことを貧しいなんて思っていないのだ。
なぜなら彼らは自分たちを比較する対象を知らない、情報が一切ないから・・。
それはとても不思議な感情だった。
子供達は、人なつっこく、その目は活き活きとしていて、私が今だかって見たこともない輝きをもっていた。
それはそれは美しい目だった。
そして、彼らは学びたがっていた。本当にそう感じた。でも校舎が足りない。
そこで自分にできることは何か?と考えた。心底考えた。
10年間お世話になった方々への感謝の念を、この子たちのために使おうと決めた。
「恩返し」ではなく「恩送り」という言葉がある。
映画の「ペイフォワード」と同じ意味だ。今使おうと思ったお金は「校舎建設」。確実に彼らの希望になる、生きたお金になる確信がある。
偽善者ともし呼ばれようともそれは確実に「支援する事実」に意味がある。
前述のヒトデの話とはそういうことだ。
社会にこういうお役立ちができるようになったのも、あらためて10年間本当にお世話になった方々のおかげだと万感を込めて、感謝の意を表したい。
萬謝!
小さな気配りから
トイレの話ですが、トイレの話ではないのです。
例えば、トイレを利用しているときに、中に入っている人がいるにもかかわらず、電気を消していく人がいます。
微細なことと片付けず聞いて欲しい、大切なことは、その「気配り」ではないかと思うのです。
電気を消していった人(消すことは悪いことではないが)は、「自分の用を足す」ことしか考えてなく、「可能性としてある後ろのドアの中の人」に、「もしかして?」という気配りが、ない人を残念に思うのです。
些細なことだが 本当に大事なことだと私は言いたいのです。
先日、ある部外の人から、プレゼンをしたいと申し入れがあり、3週間前に約束をしました。
そして、その約束の日、約束の時間前に「5分遅れる」と、電話がありました。
3週間前にした約束を、遅れても電話をしさえすれば許してもらえると考える時点で、私としては「あり得ない」話だと思ってしまいます。
まして、用件は、先方から申し入のあった「プレゼン」です。
私が思うプレゼンとは「その遅れてきた行為」を含めたもの、プレゼンの前後にある時間や、相手の時間を奪う気配り、そのトータルでの「プレゼンテーション」と考えなければならないと思うのです。私どもの会社の営業社員の話です。新店町の入口にお得意様のベンダーがあり、
その自販機の前に違法駐輪をしていく人がいる。
で、それを見た私どもの社員がバイクを停めようとしている若者を見咎め「おいおいそこは自販機の前だよ。
自販機ってのはお店の入口と同じなんだからそこにバイクを停めるとお客さんが自販機使えないじゃないか」と。私どものお得意様、そのお客様が見ているわけでもない、しかし大切なお客様であると常に考えているからこそ思わず出た行為だったと思うのです。
取引関係を築く、仕事をさせていただくパートナーとは、営業とはかくあるべき、と思うのです。
こういう営業社員がいるということを、私は誇りに思っています。
小さな兆し
そのイベントがあり、諸先輩方の思い入れに、あらためて感動した次第だ。
いつまでもあると思った物がなくなる・・・・・
今の環境も、ものも全て。
ありがたいと感じる。
そのことに気づく「心」「力」を持ってほしい。 私どもも、クライアントとの長いおつきあいの中にある
ちいさな変化を察してほしい。
ずーっと同じということは絶対にあり得ないわけで
少しずつ少しずつ変わっていっている筈です。
その変化にあわせた行動が「営業の要諦」だと思う。
少し止まると書いて「歩く」だ
創立当時、いろんな先輩諸氏から「10年の壁」と「10億の壁」はよく聞かされていました。
幸いにも10年目にして「20億の壁」となってはいますが。
この「10年の壁」の正体をしっかりと見極めながら、私たちは大きな変革を迫られていることを痛切に感じています。私たちのビジネスモデルは、クライアントのオファーがあって、スタッフ手配が完了して初めて「売上」が成立します。
サッカーに例えれば、ポイントゲッターは、管理部門コーディネーターの方にあります。
営業がオファーをもらって(いいパスを出しても)も、コーディネート(シュート)できなければ得点にはならないのです。「営業センスを持った管理部門、管理センスをもった営業」が望まれるのだが・・・・
新規開拓で、この10年突っ走ってきましたが、「少し止まる」と書いて「歩く」ということになりますが、時には「歩くような速さ」にもどしてもう一度仕事のあり様を見直さなければならと考えています。
この得点打率を上げることが、いまある「壁」を乗り越える、方法のひとつになるかも知れません。
それは陣容をそこにシフトするということを意味します。
「デザインは機能に従う」という言葉があります。
組織のデザインを変えなければならない。「会社は成功した理由で失敗する」と言われいつまでも過去の成功ノウハウに固執すると時代の変化に対応できないということでしょう。10年の壁とは、そういった意味で組織のオーバーホール期のことを先達は言っていたのではないかと思うこの頃です。
「ブラックジャックによろしく」にこういう台詞があります。
「いま、君の目の前にある壁は、もしかしたら重い扉なのかもしれない」と。
問題とは、問題が起きた時にどう考えたかが問題なのだ
私は中学生の頃ほんとに小さかったのに1年で23センチ一気に慎重が伸びたことがありその時期朝起きると、ほんとうに体の節々が強烈に痛かったことを記憶しています。
それは後に聞くと「成長痛」とよばれるものらしい。私たちの事業もいま、そういう時期なのかもしれません。
10年前を顧みても、当時もいろんな事件や問題が起こっていました。
今思えば、笑えるようなことも当時は真剣に考えたものです。
問題がおきたことが問題ではなく、問題がおきた時に、どう考えたかが問題なのです。
今の悩みや問題も先できっと笑い話になるようにそれが成長の証であろうと思うのです。
未来は今ですから。
星を見上げることを選ぶ人間になりたい
でも、それぞれの立場や役割を演じつつ、実は今日の1日を一喜一憂しながら暮らしている
愛すべき生活者以外の何ものでもありません。
懸命に経営努力を繰り返す企業や組織も実は切れば血が出る人生の集まりであると私は考えています。
個である人々が自分らしさを探し、自己実現を目指す場が「仕事場」である「この会社」です。 この会社で伴侶をみつけたカップルが我が社にはいますが・・・出産し、かつ懐妊された方も今年、2組もいます。
20代、30代、40代、50代、60代と創業10年足らずの会社には見られない世代がこの会社では営んでいます。 でしたら、この会社をみんなで育てて欲しいと思います。先日、夜テレビを見ていたらインタビュアーの茂木健一郎がオスカー・ワイルドの小説の一節を引用して、こう言っていました。
「われわれ人間はみんな、ごみための中にいる。でも、その中の一握りの人が、星を見上げている。」と。
イチローがその言葉を聞いて、「自分もそうありたい。」と言い、続けて、「でも、僕にも見えませんよ。僕も暗闇の中にいるんです。でも、星を見たいと思う。」と言いました。珍しく、私は感動したんです。
我々も、星を見上げることを選ぶ人間でありたい、と。
会社とは
そのために会社をRE DESIGN(リ・デザイン)します。
前回にもお話ししたように、会社は時代や、環境の変化にあわせて、進化し続けなければなりません。
私たちも、「個人情報保護法」を受けて、コンプライアンスを集中的にやってきました。
その議論の中で、コンプライアンスは、まず、お客様のためにある、というのは全くもって正しい,しかしそれは何の為にと言うところまで踏み込んで考えて欲しい。
全ての企業が、その会社の存続の為にという前提あってのことだと。会社があるから、私たちの生活があります。
会社があるから、お客様があるのだということです。いつの頃からか、会社に対してモーレツに働く会社人間が軽視され、「個の時代」だなどと言われるようになりました。
「自分自身のために働くことこそ美徳」「会社のために働くなんて時代遅れ」 そういう風潮になりました。
だったら、自分で事業を立ち上げればよいのです。
自分の勉強の為なら、授業料をいただきたいくらいです。
会社に入社して、自分のためだけに頑張るのでしたら それこそ同僚に迷惑をかけても自分さえよければ、ということになりかねません。やっぱり会社に勤める以上、仕事は「会社のために」なのです。
「会社のために働くか」「自分のために働くか」なんていうことは、 ダメサラリーマンに限って延々と議論しているだけであって、力のある人は、 「仕事をこなしていたら、自分のためにもなっていたし、会社のためにもなっていた」 と思っているものです。
誰のために仕事をするか、ではなく、自分の仕事が誰のためになったのか、というところを競ってもらいたいものです。
「会社のために!」とだけ思っていた多くのダメサラリーマンたちが、 会社の名前を使わないと仕事ができないような無能な人間になっていき、 会社のプライドを守るため悪事を隠匿して悪い社内体質になっていったという事実も確かにあります。
だからといって「自分のために!」「個の時代だ!」なんて叫ぶ人たちが ものすごい能力を発揮したかというと、決してそうとは思えない。
結局会社にもなじめず会社には迷惑をかけ、何の成果も残せない単なるわがまま、そんな、「もっとダメサラリーマン」も急増してしまったのも事実。
自己評価を高くしてはいけない。
少なくとも会社において評価と判断は私の仕事です。当然リスクと責任がありますから。
ですから自己評価の基準を高く持って欲しい。
いい仕事をするということが、会社のためにもなるし、自分のためにもなるものです。